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Seasonal Doburoku

たすき

たすき

起「共生」

ことの発端は、でじま芳扇堂開業に向けて米農家を中心に長崎県内各地の生産者を手当たり次第に訪問していた下積み時代。一次産業の現場で膨大なロス(規格外品)が発生し、それを個人農家レベルではほとんど有効活用できていない現状を知ったときでした。素材を生かすも殺すもひと次第。現在の市場原理によって”規格外”のレッテルを貼られ、未だスポットライトを浴びぬ原石たちを一人前に育ててこそ、素材を一切粕(無駄)にしないどぶろくの造り手らしい仕事ではないのか、そして福岡生まれ宗像育ちの私が、いま一長崎人として地域社会に貢献できる仕事ではないかと思い至り、季節限定商品「たすき」としてシリーズ化することといたしました。

承「循環」

でじま芳扇堂では地域社会の共生と地域資源の循環の観点から、「誰が」「どこで」「どのように」「どのような想いで」農産物を育てているかについて、全ての生産者さま一人一人を訪問しています。その中で「たすき」は、「美味しいのに少しキズがある」、「無農薬だから小ぶりでかたちがよくない」「木熟が進んで日持ちがしない」など、さまざまな理由で”規格外“とされたダイヤモンドの原石のような農産物たちを主役に、米や麹と発酵させたニュースタイルの季節どぶろく。毎年各月ごとに新作を発表するため、「たすき」を体験するだけでその年その時の季節の味覚を味わうことできる、一期一会のどぶろくを志します。

転「口伝」

「人間とは、その人の食べたものである。」 19世紀ドイツの哲学者フォイエルバッハのことばは、現代を生きる私たちに多くの示唆を与えてくれます。

「SDGs」、「多様性」、「地域創生」
今日さまざまな社会課題が並べられる時代となりましたが、私たち一人ひとりにとって、より緊迫感のある事象とは、生きてゆくこと、すなわち食べていくこと。そして人は食べたもの、五感を通じて身体に取り入れたものでしか形作られず、その集大成として地域の食文化が形成されているという事実です。今日私たちが当たり前のように享受している美しいふるさとの原風景は先人たちが食べることで受け継ぎ、繋ぎ留めてきたその足跡ではないでしょうか?
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「環境保全」「フードロス」「少子過疎化」
こんなマクロなテーマに一個人が真っ向から取り組むことは理想主義的かもしれませんが、私たちの口はやらない言い訳をするためにあるのではなく、食べるためにあるのです。 

「たすき」は「襷」

でじま芳扇堂は、これまで地域の食文化を支えてこられた生産者の矜持、それらを育んできた自然の恩恵、歴史、伝統、風土を「たすき」に変えて社会へ還していきます。 私たち醸造家が情熱ある生産者からお預かりしたバトンを、今度は消費者、そして次世代へ。食べて繋げるバトンリレー、あなたもそっと手を伸ばしてみませんか?

結「田の数奇者たれ」

「たすき」という銘には「田数寄」という願いを込めています。これは日本という稲作文化が育んできた日本的情緒は、豪華絢爛な唐物主義や西欧文化とはずいぶん異なる文化的・精神的発展を遂げ、世阿弥の能、利休の侘び茶、柳宗悦の民藝といった数寄の価値観―質素なもの趣があると感じる「詫び」や、時間の経過による儚さに奥深さを感じる「寂び」といった「侘び寂び」に代表される負の要素から感じ取る日本的美意識、それを支えとした自然との共生を尊ぶ日本文化を育みました。 そのような日本の伝統的美意識にオマージュを捧げ、規格外=不要なものとして打ち捨てられる運命にあった農産物に新しい価値を与え、それを主体的に愉しむための特別な演出を施します。
味覚は、美味しいは、美しいは国境を越える。
「たすき」がまるで一夜限りのジャズのセッションのように、儚くも情熱的で、私たちの心と体に沁み渡ってゆきますように。